SHIMIZU_NORIAKI

基本的にメモ代わり

体罰とパワハラの影響:日本社会における教育と労働の変化についての考察

日本社会ってパワハラで回してるんで、上司や経営者が殴ったり怒鳴ったり出来なくなると社会は終わりですね。


なんでそうなのかと言うと、本来なら学校でちょっとづつ厳しく叱ったり叩いたりして矯正していって真人間になって社会に出てくるはずの人間が、学校が「無理にいま矯正しなくてもひとつ上の所が何とかしてくれるでしょ」みたいな感じで流すわけよ。そうなったのも体罰が禁止されたからですね。

体罰を禁止したせいでゴミガキが矯正されないのを、会社がパワハラと暴力で何とか真人間にして(ダメなら再起不能にして)社会秩序を守ってきたんだけど、体罰禁止でゴミガキがそのまま何の役にも立たないゴミ大人になって、パワハラと暴力禁止でゴミ大人がそのまま社会不適合者になってる。

一方で体罰パワハラと暴力がしっかり残ってる体育会系の所に入ったゴミガキは、大人になるまでにはしっかり矯正されて真人間として働いて家庭持ってるわけよ。殴らずにちゃんとやれって言うけど、「そんな事が出来る人間は需要に供給が追いつかない」ので無理よな。

例えば俺は出来るけど、俺が日本に何人居るのって話よ。それが出来る人間は有名私立とか、有名塾とか、有名企業が全員独占してて、残り95%の人間が暮らす社会には供給されません。で、今はなんかゴミ大人が大勢いるからデカい面してるけど、ゴミ大人は一部の特殊技能持ちを除いて子供作れなくて絶滅していくから、大量の遺伝子が整理整頓されるのは間違いないんだよね、社会の多様性がなくなる。

今までは暴力という「量産可能な教育」があらゆる人間を真人間にしてたけど、それが無くなったので、教育がなくても上手くいく人間だけが真人間になって、そうでない人間は「量産不能な高給教育」を買うか、一生真人間になれずネットで非現実的な理想論や終末論を唱えるしかなくなる。


人間の格差が広がっているのもそういう事ですよね。昔なら「もしクズでも殴って矯正すればよし」と各組織の間口を大きく取れたけど、殴れなくなったので「クズだったら大変だから少しでも怪しい奴は取らない」になってて、顔がブサイクで遺伝子悪そうな奴はノーチャンスになってる。結局のところ、普通の人間なんてゴミとカスなんだから、奴隷とクソ上司にしかなれないんですよ。普通の人間に居場所のある社会ってのはそういうもんです。

何故かっつーと、企業経営とか企業労働って、上位10%くらいの人間にしかまともにこなせない高難易度な活動なんで、普通はどっか破綻するんです。「その破綻をどの部分に持っていくか?」って話なんですよ。

企業に必要な力が1000として、従業員全員合わせても650しかないです、って時に「破綻しても構わない部分を削って重要な部分を守ろう」みたいなのがあって、それが教育倫理とかですよ。ちゃんとやろうと思うと100必要だけど、殴って済ませれば30で済む、70浮いた力で利益部分を守ろうみたいなね。昭和の時代はそういう妥当な思考があった。

でも現代人ってアホだから、100点取らなきゃクソみたいな事を言い出すわけですよ。この組織を構成してるお前らは100点取ってきた人間なんかと。そらね、学生時代から100点とか95点を連発して、有名大学に合格するような人間の集まりだったら、そりゃ会社も100点運営できますよ。

でも違うじゃん。おめえら60点そこそこの人間だろ。60点人間が集まってる会社でどうやったら100点運営なんか出来るんだよバカがよ。

そうなると下の方からどんどん潰れて、福祉に寄生するスラムが広がっていくので、現在の民主主義的な社会は終わっていきますね。

寄生されてる側の人間が本腰入れて国からの離脱方法を考え始めるし、先進国の抑圧から開放されたい後進国にとっても美味い話なんで、世界秩序にもダメージが入る。