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大戦争の経験と社会の結合力:先進国における格差拡大の問題点

日本のような先進国と、メキシコやインドのような国とを比較するとき、重要な視点が「大戦争の経験」にあると主張します。それは、大戦争の経験が国家に「集団の一体感」をもたらし、それが国家の社会政策や社会結束に大きな影響を及ぼすからです。

メキシコやインドなど、歴史的に大戦争を経験していない国々には、国民の「一致団結」の感覚が希薄であると言います。彼らは個々の自己表現や成功を重視し、その結果、格差社会が広がる傾向にあると主張します。ここでの「数は力」は、国民全体の団結により、社会的な公平性や正義が追求されるという概念を指すものと解釈します。


これに対して、大戦争を経験した先進国では、国民全体が一体となって戦争を乗り越える経験が、その後の国家の方向性を大きく左右しています。戦争が終わった後も、その経験は集団行動の「ノウハウ」を形成し、それが政府との交渉やストライキなどの行動を可能にします。国民全体の団結力が高まり、それが社会全体の公平性や正義を追求する力となります。

しかし、今の日本のような先進国では、団結力が失われつつあると指摘します。その結果として、かつての強力な社会的連帯感が薄れ、一部の金持ちだけが利益を享受し、社会全体の公平性が損なわれる傾向が出てきています。国民は自己表現や個人的な成功を追求する一方で、権力に対抗する集団行動をとる能力が低下していると批判します。


結論として、大戦争の経験が国家の社会結合力や公平性に大きな影響を及ぼす一方で、その経験が薄れるにつれて、社会全体の公平性や正義を追求する力が弱まり、格差社会が拡大する傾向があると言えます。これは、人々が自分自分自身の利益や成功を追求することに重きを置きつつ、他人や社会全体と連帯するという意識が弱まり、一体感が希薄になってしまうためです。

例えば、大戦争を経験した時代の日本では、自分だけが利益を享受するような行動(例えば、米の卸問屋が米の値上がりを見越して抱え込む行為など)は、社会全体の一体感や公正さを損なうと考えられ、それに対する強い反発がありました。しかし現代では、そのような一体感が薄れ、個々の利益を追求する行動が許容される傾向にあると指摘します。

このような現象は、大戦争を経験した過去の日本だけでなく、多くの先進国でも見られます。団結した社会行動や公平さを追求する強い意識が失われる一方で、個々の自己実現や成功追求が強調される傾向にあるためです。

これは、個々の自己表現や成功追求が強調される一方で、一体となって行動する「集団の力」が弱まっているという、先進国特有の問題を示しています。権力に対抗するための集団行動が減少し、それにより一部の金持ちや権力者が自己の利益を優先することが容易になります。

結論として、大戦争の経験は国家の一体感や社会結合力を育み、その結果、社会全体の公平性や正義が守られます。しかし、その経験が薄れ、自己実現や成功追求が強調される現代社会では、その一体感や公平性が損なわれ、格差社会が拡大する可能性があると言えるでしょう。