SHIMIZU_NORIAKI

基本的にメモ代わり

自意識と洗脳のしやすさについて

「自我がない方が支配しやすい」という人がいるが、それは本当だろうか??

これには教育、自我、権力といった複雑な要素が絡み合っています。最初に考えるべきは、「自我」の定義です。ここでは、「自我」を「自己認識と個々の願望、欲求、考え方を持つ能力」と捉えてみましょう。


最初の部分で触れられているのは、自我の有無が支配の容易さにどのように影響するかという問題です。自我がない人々は、確かに一般的な命令に対する応答性が高いかもしれません。しかし、これは必ずしも従順さを意味するわけではありません。自我のない人々は、一般的に、自己の利益を理解し、追求する能力が低いとされます。そのため、これらの人々を動機づけるのは困難であり、命令に従わせるためには外的な報酬や罰が必要になることが多いです。

一方、自我が強い人々は、自己の価値観や目標に基づいて行動します。これは一見、統制が難しく見えるかもしれませんが、同時に彼らは自己の理想を追求する強い動機を持っています。そのため、その理想が統治者の目標と一致する場合、自我の強い人々は非常に有用な資源となります。ただし、その理想が統治者と衝突すると、彼らは反抗的になる可能性があります。

次に、軍隊と学者による教育の影響についてです。軍隊教育が個々の自我を研ぎ澄ませる一方で、学者による教育が自我を強化するという主張は、教育の目的と手段の観点から見ると一部の側面を捉えています。軍隊の教育は、確かに、命令に従うこと、団結すること、自己の欲求を制御することを強調します。これは、軍隊が集団行動と命令に基づく行動を必要とするためです。

一方、学者による教育は、批判的思考、自己発見、創造性を重視します。これは個々の自我を強化すると考えられます。しかし、これは必ずしも全ての人々が豊かさや貧しさに影響を与えるわけではありません。学者による教育は知識を深め、新しい視点を提供しますが、それが個々の経済的成功に直接つながるわけではなく、個々の才能、努力、そして機会が組み合わさることにより初めて可能になります。

あなたが指摘したように、「天才」だけが増えても社会全体の問題を解決するのは難しいかもしれません。しかし、これは教育の役割が「天才」を生み出すことだけでなく、全ての人々に基本的な知識とスキルを提供し、社会的な問題解決能力を向上させることであるという観点から見れば、必ずしも問題ではありません。

また、市民の立場が強くなるのは、市民の従軍経験者の割合が増えて、戦いの中で自我が削られた人間が増える時期だという見解も興味深いです。ここで重要なのは、戦争が個々の自我を「削る」だけでなく、新たな自我を形成する力も持っているということです。つまり、戦争は人々に団結し、共通の目標に向かって行動する能力を育む一方で、それはしばしば自己犠牲という形を取るため、自我が「削られる」と感じられるかもしれません。

総じて、自我は様々な要素が絡み合う複雑な概念であり、その存在と形状は、個々の人間がどのように支配され、また社会がどのように機能するかに大きな影響を与えます。教育はその一部を形成する要素であり、軍隊と学者による教育の違いは、個々の自我と社会全体の動向に異なる影響を与えます。これら全ての要素が絡み合う中で、最も適切な教育方法や支配の方法は、時代や社会状況によって変化する可能性があります。