SHIMIZU_NORIAKI

基本的にメモ代わり

差別の種類増えすぎ

先日、喫茶店で「差別語の種類が増えすぎじゃね?」という会話を聞きました。

これは編集者も非常に神経質になっている現代的な問題かつ社会的な問題なので紹介します。「数年前に使われていた言葉が今は差別語にあたる」「何気なく使った言葉が差別語として受け取られた」という事案は山のようにあります。Twitterでもありますよね。

これにたいして「言葉狩りだ」とか「どんどん日本語表現が窮屈になっていく時代」という意見もありますが、「差別されていると感じるのに言えなかった人が、違和感や遺憾を表明できるようになった時代」「より的確な新しい表現が生まれる時代」でもあります。少なくとも、慣習的な表現に差別的なニュアンスが隠れていないかを、書きながら考える必要が生まれていると思います。

たとえば、

「ブラインドタッチ」という言葉はほぼ聞かなくなり、「タッチタイピング」などと言い換えられています。これは「盲目」に潜む差別的なニュアンスの言い換えです。

クレヨンからは「肌色」という名称が消え、娘が使っているクレヨンでは「うすだいだい」になっていました。日本で働いたり日本に居住する日本以外の国出身の人が増えたことと無関係ではないはずです。

著者のデビュー作・第一作を「処女作」と表現する出版業界人も減っていて、これはもはや説明不要でしょう。

もう一つありがちなのが、「自称しているからといって、他人が言ってもいいわけではない」という問題です。これは、Twitterでも頻繁に目にします。

たとえば、aikoのアカウント名は 「aiko_dochibi」です。ライブでも歌詞でも「自分の背の小ささ」によく触れています。しかし、他人からいきなり街中で「あ、どチビだ!」と言われたらいい思いはしないでしょう。

わたしもスキンヘッド編集者などと名乗ることがありますが、知らない人から「おい、そこの完璧なハゲ」などと言われたらぶっ飛ばしたくなるでしょう。「自称デブ」「自称バカ」なども同じです。

「じゃあなぜ自称するのか」「自分で言ってるんだからいいじゃないか」と思うかもしれませんが、「誰かに言われたくないから、先に自分で言っている」と考えればいいと思います。もう自分で言ってるんだから、わざわざ他人が言わなくていいのです。

言葉は時代の変化にともなって流行り廃りがあるし、受け取られ方も変化するので、一つの慣習的な言葉遣いで自分の偏見や価値観を露呈することになります。職業的に頭を悩ませることも多いのですが、より的確な表現がないかを考える場面でもあります。