日本人が「日本は秀才の国」といった認識を持っていることは事実ですが、秀才たちが競い合う場において、欧米の秀才には決して勝てません。その理由は、欧米の秀才が持つ能力が圧倒的に高いからです。
しかし、それならばどうして日本が競争に打ち勝つことができるのでしょうか。その答えは、日本の凡人の強さにあるといえます。
欧米の秀才は非常に能力が高く、たとえば文字が読めない移民に対して商品の絵が描かれたレジを提供し、働かせることができます。あるいは掃除を一度もしたことがない人に対して、「雑巾は2つに折ったあと両端を持ってねじることで水を絞り出せ」などといった指示まで出すことができます。これらは確かに、欧米の秀才がその能力を最大限に発揮している証拠といえるでしょう。
しかし、それは同時に欧米の秀才がその能力を無駄遣いしているとも考えられます。なぜなら、それらの指示は日本では不要となるものが多く、その結果、秀才の能力が消費され、全体的なパフォーマンスは平均化するからです。
その問題とは、日本人労働者が「やりがいがない」とか「裁量が無くて窮屈すぎる」といった理由で指示に従わなかったり、仕事をボイコットするということです。
これに対して欧米のエリートは驚き、困惑するでしょう。彼らにとっては、仕事は金を得るために行うものであり、部下に裁量を与えるという概念は存在しません。
能力がある人間が適切な裁量を求めるのは当然のことなのですが、欧米のような「優秀なエリートと能力の低い労働者」が主体の社会では、労働者にはほとんど裁量が与えられません。従って、日本人労働者を採用すると、文化的なギャップに直面し、彼らは困難な状況に陥ることが多いのです。